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カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す


過ぎ越しの少年 歩いてゐる 環百道路の向こう側 不気味に流れる根無し草 道草模様の漂流者 あゝ帰らざる故郷…… 棲めばエル・ドラド…… 記憶のギャラリーで迷子になって…… 愚者の漬物石と隠者の糠床……
by Neauferretcineres
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メモ帳
わてが最近、買うた酒 のコーナー
Kloof Street Swartland Rougeクルーフ・ストリート スワートランド ルージュ 南アフリカ赤ワイン
ふつうアフリカワインのラベルには動物やら何やらの生き物やら野生的な風景やらが
描かれてるものだけど、Mullineux(マリヌー)のこのワインのラベルは
夕暮れ時に一瞬見られる不思議な色合いの青空のような、淡い青の地に
控えめな金色で文字が記されているだけ。
そこがいい。
味は濃厚。空に憧れる土の浪漫と情愛、いささかの辛苦。

私はいまこの身の果ての荼毘の煙を吸う――ヴァレリー「海辺の墓地」

先日載せた、石和鷹「鎮墓獣の話」から”墓”つながりで、
ポール・ヴァレリーの詩、「海辺の墓地」を菱山修三の訳で載せます。

堀辰雄が

”風立ちぬ、いざ生きめやも”

と、この詩の最後の連の頭のフレーズを訳したことで有名なあの詩でありますが。
けっこう長い詩なので、前の方だけ載せます。

ちなみに、菱山修三訳だと上のフレーズは、

”風が起こる!……いまこそ強く生きなければならぬ!”

となっております。
僕だったら、

”風が起き上がる!……生きようと懸命であらねば!”

とでも訳すかな。

青磁社刊『仏蘭西詩集』(村上菊一郎編)より


愛する魂よ 不朽の名など得ようとはつとめるな 人のなしうる業の深奥を究めよ。

ピンダロス ピチック第三


   海辺の墓地 ポオル・ヴァレリイ 菱山修三訳

あまた鳩の歩むこのしずかな屋根瓦、

あの松の木のあいだあいだに、あの石碑(いしぶみ)のあいだあいだに、ひたひたと波打って。

そのほとり、まさしく真昼は炎で海を構成している、

恒に繰り返し再生する海を!

神々の平静(しずけ)さの上へ久しい諦視、

あわれ、ひとすじの思念の後のこの果報(むくい)!


かすかなひかりの綾の、なんという純粋な仕事が、

眼にもみえない水沫(みなわ)の、夥しい金剛石を消燼し、

ともすれば、なんというしずけさの抱かれることよ!

この深淵の上に太陽の休らうとき、

ひとつの悠遠の根拠をわかつ純粋な作品、

「時間」はこのとき煌(きら)めき、「夢」はそのまま知識の総和となる。


久遠の宝庫よ、ミネルヴァの質素な寺院よ、

しじまの堆積(マッス)よ、また眼にあまる蓄積のゆたかさ、つつましさ、

そそり立つ水よ、

炎の面帕(かおぎぬ)の下にありあまる睡眠(まどろみ)をうちにかくす「眼(まなこ)」よ、

あわれ、私の沈黙!……この魂のなかの建築よ、

しかも千の甍の波打つ黄金の棟(むね)、屋根よ!


ただひとつの吐息がそれと仄(ほの)見せる、「時間」の寺院よ、

この純粋な一点(さかい)へ私は達し、私はなじむ、

見渡すかぎり海にかこまれて。

しかも神々への私の最上の供物として、

冴え渡る燦としたひかりは、世にこの上もない蔑視を

底深い水の面に撒き散らす。


果実が甘美な味感に溶け込み、

その形のやがて消えかかる口のなかで、

その喪失を無上の快味に替えるように、

私はいまこの身の果ての荼毘の煙を吸う、

しかも空はざわめく岸々の変化を、

燃え果てた魂へ歌いかける。


見事な空、まことの空よ、変りゆく私を注視せよ!

まことに久しい自らの傲りと、法外な無為の後に、

しかしいま、力に満ちて、

私はこの輝かしい空間に身をまかす、

私の影は亡き人々の眠る家々の上を通り過ぎる、

そのあえかな動作に私をなじませて。


至点の炬火に魂を晒して、

私はお前の歩みを停める、

無慈悲な武器を備えるひかりの、実(げ)にめざましい正しさよ!

私は最初のお前の地位に、在りのままのお前を還す、

いまお前自らを省みよ!

しかし、ひかりを賦与するには暗い反面の影を要する。


あわれ、私ひとりのために、私のみに、私の裡に、

心情のかたわら、詩歌(うた)を生むみなもとに、

この空隙とここにのみ顕れるものとのさかいに、

私の内部の大いさの、あの谺(こだま)を、私は待つ、

苦く、薄暗く、ひびきのとおる井戸に似て、

この魂のなかに、その谺の、常にゆくりなくうつろな音を立てるのを!


松の木の葉ごもりにことわりなく囚われた女人よ、

墓地の鉄柵の、かぼそい網目網目を嚙む入海よ、

また、私の閉ざされた眼の上、まばゆいばかりのかずかずの秘密よ、

お前は知るか、いかなる肉体がその物憂い最後へ私を引き連れてゆくのか、

いかなる額がこの舎利の地へ肉体を惹きつけるのか。

そのほとり、ひとすじの火花はわが不在の人々を思念する。


閉ざされて、清らかに、物質なきひといろの炎に満ちて、

ひかりに献げられた大地のきれはしよ、

この土地は私の好むところ、

日のひかりに支配されて、黄金と石と薄暗い立ち木の組み合せ、

夥しい大理石(なめいし)が夥しい亡霊の上にわなないて。

そこに忠実な海は私の墓碑また墓碑を守ってそのほとりに眠る!


ひかり耀く牝犬よ、偶像に拜跪するものを却けよ!

牧人の頰笑みを浮べた隠者さながら、

私が長い時をかけて、ふしぎな羊たちよ、

純白な一群のこころしずかな石碑(いしぶみ)を、はぐくみ見守るとき、

用心深い鳩たちも、むなしい夢々も、

好奇心の強い天使たちも、これより遠ざけよ!


(後略)


私はいまこの身の果ての荼毘の煙を吸う――ヴァレリー「海辺の墓地」_b0420692_16343439.jpg
photo by Juan Martín May

by caffe-san-marco2 | 2022-10-08 16:38 | | Comments(0)
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