カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す |
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・Kloof Street Swartland Rouge(クルーフ・ストリート スワートランド ルージュ 南アフリカ赤ワイン) ふつうアフリカワインのラベルには動物やら何やらの生き物やら野生的な風景やらが 描かれてるものだけど、Mullineux(マリヌー)のこのワインのラベルは 夕暮れ時に一瞬見られる不思議な色合いの青空のような、淡い青の地に 控えめな金色で文字が記されているだけ。 そこがいい。 味は濃厚。空に憧れる土の浪漫と情愛、いささかの辛苦。 |
大岡昇平と大江健三郎の対談「文学は現代をどうとらえるか」より⑤ 大江 このあいだ翻訳された、ヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』。この日記は小説を書こうとしている人間、また現に小説家になって繰りかえし行き詰まっている人間――ぼくなんかそうなんだけれども――そういう人間が、小説家とはどういう風に生きていくものかということを考えるのに、とてもいい本でした。 小説家とはどんなふうに生活するべきかということが具体的に書いてある点もいいですけれども、それに加えて実際の小説のでき方、書き方の現実の過程がよく書いてあります。そしてウルフの小説についての考え方の中心は、いま大岡さんのおっしゃったことに近いんですね。ヴァージニア・ウルフという作家は精神病者的な発作を繰りかえす人だった。一週間か二週間、発狂状態になる。しかしその直前か、その間に彼女はある決定的なものを見る。言葉によってそれにつりあうものを再現するために努力しはじめるというのが、彼女の小説制作の基本的なかたちです。 大岡 それぞれ作家によって方法の意識の仕方が違うんでしょうね。たとえば武田泰淳。彼は『富士』を書く頃から無理な仕方でやっていた。頭がはっきりしないと、ノーシンを飲んでまず頭をはっきりさせ、それからビールを飲んで、はっきりした頭を動かして、それで小説を書くんだと、彼は言っていた。彼はそういうふうに意識したわけですね。 しかしぼくは、必ずしもその通りに彼の中で創造が働いたとは思わない。つまりノーシンではっきりさせなくても、すでに彼の中で形を取りつつあったものが出て来るのだ、とぼくは考えていたんです。つまりアルコールは抑圧されていたものを解放するだけでしょう。とにかく彼はそう思って無理にノーシンを飲んで書いていたなあ。それで脳血栓を起したんだけれど、それでも文学者というのは書きたいんですね。脳血栓というのは二度目にやると致命的だから、気をつけなければいけないんだが、彼は『目まいのする散歩』を口述するために、ノーシンはやめたが、ビールを飲む。作家は無理だとわかっていてもやるものですね。戦場における戦死みたいなものですよ。そうすると、そこまで彼を持っていくものは何かということが出てくる。 大江 無意識の全体性に根ざして、表現したいと思っているものがある。意識的には明瞭ではないけれども表現すべきだと感じられるものがあって、現実の意識的な自分の側から、そこへ橋をかけるための手つづきということが、それぞれの作家にあるんじゃないか。ある橋をかける。かならずしも橋そのものが文章じゃない。その橋をかけて、文章を書きながら、その橋を具体的に確かなものにしていく。 ぼくは、毎日毎日鬱屈して閉じこもっていて、漠然とした小説の全体の眺めのようなものを考えている。そこにしだいに自分を向けてゆく。ぼくは発作をおこすわけでもないし、天才にとりつかれるということもないから、手つづきとしては毎日、三枚か四枚ずつ三年間ほど書きつづけます。その結果、第一稿は膨大になってしまう。その上でぼくはノーシン効果というか、アルコール効果というか、そういうもののかわりに一つできあがった草稿、現に眼のまえにあり、紙とインクの束として対象化されているものと、ぼくが漠然と目指したものと、あらためて第二稿を書いてゆく自分との、その三角形のダイナミズムを新しい手つづきにします。いったん書いたものを否定的に乗りこえながら書き直してゆく。そうすると長さも二分の一ほどになる。それがぼくの手つづきですね。 大岡 ぼくは酒が入って頭が動き出すと書けなくなる。断片的な考えしか浮かんでこなくなっちゃう。酒飲んで書いたという経験は、駆け出しの頃少しあるだけです。ぼくは飲むとだめな体質です。 大江 ぼくも大岡さんの散文が酒を飲んで書かれうるものだとは思いませんね。お酒の影響が少しあったとすれば、『武蔵野夫人』のいちばんはじめのノートというか、クロッキーのようなもの、あれかもしれない。 大岡 ノートをとっているときは、原則として飲みませんが――そうでもないか、筆蹟が乱れてるのがあるから。 (略) 大江 さきにいったグロテスク・リアリズムの考え方にしても、その系譜をたどると、大抵の論者がディケンズにたどりつく。ディケンズのグロテスクなものに関心をあらわす。ディケンズの表現した英国社会の同時代のリアリズム描写と矛盾しない、奇怪なものの導入、格下げ、価値の転倒に言及します。小説はディケンズで終わったという大岡さんのお考えを、ぼくはそれにひきくらべて考えます。 現代をどうとらえるか。現実の状況からどう出発するか、それはディケンズの仕事までもふくめて小説最大の課題でしょう。それについていまルポルタージュあるいはノン・フィクションの重視がいわれる。小説はつまらぬ、現実にかかわらぬ、とルポライターがいったりする。ノン・フィクションこそ文学だと主張する新作家がでてきたりする。しかしぼくは、現代、現実を、やはり小説の言葉でとらえることにこそ大きい力があると考えています。しかしそれは、文学より以外の言葉と小説の言葉とのつながりを決して否定するものじゃない。むしろその逆です。『レイテ戦記』はあきらかに小説の言語で書かれている。しかも多様なレベルの言葉を構造化することによって、新しい小説の言語をつくりだしている。どのようなノン・フィクションが『レイテ戦記』よりも全体的に太平洋戦争をとらえているだろうか? ぼくはメキシコにいる間、授業の準備や仕事に疲れると、アメリカのノン・フィクションを沢山読みました。そして全体をとおしての感想は、結局いいものは小説の言語で書かれているということでした。すなわち現実に指向対象がある言葉として、事実によりかかるようにしては書かれてはいない。指向対象によりかかっていないところの、自立した虚構のディスクールで書かれている。たとえばメイラーのものなど、宇宙論的な、ある大きい構造的な思考をあらわしている。しかもその小説としての言語は、様ざまな領域によってインスパイヤーされている。翻訳のあるものでいえば、かれの『月にともる火』。 初出:『新潮』1976年12月号 ![]() photo by Darius 高校の国語の授業で、 小説を扱わず、 その代りに”実用的な”文書を読ませるように、 指導要領が改悪されました。 じつに愚かなことをしたものです。 国語は第一級の文章でしか教えることはできないし、 第一級の文章はやはり文学者の文章、 とりわけ小説の文章なのです。 官僚もしくはAIが書いたような 無味乾燥な文を読まされる高校生が 不憫でなりません……。 文学者が心血を注いで創ってきた日本語の名文は 国の宝であり、 日本人のアイデンティティの一部 であります。 なぜ、わざわざそれを捨て去る必要がある? なぜ?
by caffe-san-marco2
| 2023-03-20 21:09
| 対談・対話・鼎談・座談
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