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カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す


過ぎ越しの少年 歩いてゐる 環百道路の向こう側 不気味に流れる根無し草 道草模様の漂流者 あゝ帰らざる故郷…… 棲めばエル・ドラド…… 記憶のギャラリーで迷子になって…… 愚者の漬物石と隠者の糠床……
by Neauferretcineres
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メモ帳
わてが最近、買うた酒 のコーナー
BELL’S SCOTCHベル スコッチ
いくつものエピソードが混じり合いつつ、丸く収まった、エディンバラの甘い夢。ブレンデッドウイスキーの極地であるような、安息の地であるような……。これ以上何かを加えると、きっと夢は儚く破れてしまうのだろう、そんな夢の中の警鐘。

プラトンが哲学の中に見ていたものは死の練習であった――シェストフ『アテネとエルサレム』①

日本国の次の首相には、
やはりその人なりの哲学をもった人に
なってもらいたいものであります。

しかし哲学者にもいろいろありまして、
哲学者によってその肝心の”哲学”の捉え方も様々なのね……。
哲学は科学のようでもあるし、
科学とは全くの別物のようでもあるし、
じゃあ哲学は人生論に過ぎないのか、
むしろ宗教に近接したものなのか、
哲学について哲学的に考えるだけでも実に難儀なことで……。

とにかくもう一度、哲学を呼び戻してみたい。
でも何のために?
よりよく生きるため?
そうしてよりよく死ぬため?

シェストフ『アテネとエルサレム』(植野修司訳、雄渾社刊)より①

☆死への瞑想

 プラトンが哲学の中に見ていたものは μελέτη θανάτου(死の練習)であった。真の哲学者は ἀποθνήσκειν καὶ τεθνάναι(死の心構えをし、死んでいくこと)以外には、何一つとして事をなさないものだと、彼は説いているのである。彼にとっては、哲学は学問でもなければ科学でもなかった。死の練習を科学とは呼び得ないからである。彼にとって哲学は、何か全く別の関係のものであった。一般の人々の意見によれば、あらゆる真理の源泉に至るべき道を見出すべき人間的なる「眼」を、彼は鋭敏にしようとするよりも、むしろ鈍らせることをこそ欲していたのである。彼は次の様に書きしるしている。

「悪者だけれども賢いと言われている人々(τῶν λεγομένων πονηρῶν μὲν, σοφῶν δὲ)について、次の様なことに、果たして君は気づかなかったであろうか? 即ち、その魂は、如何にも刺すような鋭い視力を働かせ、その視力が向けられる物事を詳細に見分けるから、その視力は劣悪なものではないと考えられているが、悪に仕えなければならないようになっているから、その視力が鋭ければ鋭いほど、ますます多くの悪をなすということになっているのである」(国家・五一九・a

 物を見る能力、Einsicht(洞察……訳者註)、intuitio(直観……訳者註)は、それ自体として如何に偉大であろうとも、人間を真理へ導くものではない。むしろ逆に、真理から遠ざけるものである。理性によって与えられ、acquiescentia in se ipso(自分自身との調和……訳者註)をもたらす cognitio intuitiva(直観的認識……訳者註)こそ、summa est quae dari potest(与えられ得る総て……訳者註)である。

 ――プラトンは、人々がかかることの総てに窮極的な英知を見ていることを、極めてよく知っていた。しかしながら、彼がおのれの全存在をあげて感じていたことは、この acquiescentia in se ipso(自分自身との調和……訳者註)の中に、人生における最も空恐ろしいものが秘められているということであった。彼はソクラテスに学び、我々に自分の先生のことを次の様に物語ったのであった。即ち、ソクラテス自身がおのれのことを「とげ」(μύωψ)と名づけていたこと、ソクラテスは、人々を安堵させることにおのれの使命を見ていたのではなくして、絶えず人間の心を刺し、人間たちの心の中に拭い難い不安を与えることにこそ、おのれの使命があると考えていたというのである。


プラトンが哲学の中に見ていたものは死の練習であった――シェストフ『アテネとエルサレム』①_b0420692_13123103.jpg

photo by Michal Balog


プラトンの μελέτη θανάτου(死の練習)にちなみまして、
”死”の文字をおのれに塗り記したオーサカ・ハードコア・バンドS.H.I.
聴いてみることにいたしましょう……
プラトンが哲学の中に見ていたものは死の練習であった――シェストフ『アテネとエルサレム』①_b0420692_13251132.jpg

by caffe-san-marco2 | 2025-10-04 13:30 | 評論 | Comments(0)
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