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カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す


過ぎ越しの少年 歩いてゐる 環百道路の向こう側 不気味に流れる根無し草 道草模様の漂流者 あゝ帰らざる故郷…… 棲めばエル・ドラド…… 記憶のギャラリーで迷子になって…… 愚者の漬物石と隠者の糠床……
by Neauferretcineres
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メモ帳
わてが最近、買うた酒 のコーナー
新甘泉 梨の果肉と果汁があふれるお酒国産リキュール 北岡本店
ドンキで売ってた梨リキュール。作ってるのは奈良県吉野の酒蔵。
鳥取県産の梨をぶちこんである。アルコール分は5度。
なんとなく日本海側のエキスを毎日ちょっとずつ摂取したいんよね……。
熟れつつも叙情にこの実は引き締まりて。

マッカーサーが、そんな絶対的な権力を持っていたとは――舟橋聖一『文藝的グリンプス』

やっと本格的に暖かくなってきたようで、
靴下を履かずに素足で室内をうろつくのが
凍えきっていた触覚を蘇生させるようで
じつに快感であります!!

さて、世の中には知られざる秘密というか
一般人にはできるだけ知られないようにしている重要事項
みたいなもんがあるようで、
いわゆる不都合な真実ってやつかな。
例えば、最近話題のAIであるけど、
じつはこれめっちゃ電力を消費するらしいねんね。

でも、AIがたくさんの電力を必要とするなんてことは
あまり表立って報道されたりはしてないわけね。
グーグルで検索すると勝手にAIが回答してくれたりするんだけど、
あれも旧来の検索よりもだいぶ電力を喰ってるんだなあ……。
無料やから消費電力のことなんて考えもせんけど、
じつはあなたがAIを使うたびに、地球のどこかで電気がグワッと喰われてますよ!!

つまりこれまでさんざん省エネだの、脱炭素だの
世界規模で言ってきたわけだけど、
AI化をどんどん推し進めていくと
逆に電力ががんがん必要になってくるってことなんだなあ。

AIで覇権を握ろうとするならば、
もちろんAIそのものの開発もさることながら、
それとセットで、必要電力を発電するためのエネルギーの確保も
必須になってくるわけで、
その点、日本はだいぶ不利になってくる。

これから省エネ時代から猛烈発電時代へと
どうもシフトしていきそうなんだけど、
そんなこと誰も教えてくれてないよね……。

日本の防衛をアメリカに頼っているごとく、
AIでもアメリカ頼みになるのかな?

というわけで、
莫大な電気がなければAIは駆動させられない、という
不都合な真実でした。

舟橋聖一『文藝的グリンプス』(新潮社刊)より

☆昭和三十九年一月

 朝日新聞連載の「マッカーサー回想記」は、愛読者を増しているようだ。私もその一人である。もっとも愛読ばかりではない。驚と快と憤と敬の入りまじった感情で、毎日読んでいる。

 それにしても、マッカーサーが、このように絶大な権力――彼自身も自分の権力の偉大さを史上空前のものと、くりかえしている。そんな絶対的な権力を持っていたとは、われわれ国民は何も知らなかった。イヤ、誰からも知らされなかった。

 知らなくってよかったかもしれない。一々、それを知っていたら、各地に暴動の絶え間がなく、そのたびに無辜の市民の血が流されたろう。

 われわれが、聾啞の如く押し黙っていたことも、元帥の改革の敏速な遂行には、役に立ったのだと思う。

 マッカーサーは、あまり宣伝好きではないようだ。もっと売りこもうと思えば、その在任中、いくらも機会はあったろう。然し、好んで日本国民に、話しかけようとはしなかった。こんどの回想記で、はじめて知り、はじめて聞くことが沢山ある。

 日本政府の首脳部、各閣僚、官僚のボスたちは、恐らく、マッカーサー司令部の権力について、詳細に知っていたろうが、国民には、一度でも語ってきかせたことがない。自分たちだけが知ればいいと思っているのだ。

 日本の為政者の常習は、いつもそれだ。自分たちだけがアメリカに可愛がられさえすれば、国民などはどうでもいいのだ。昔ながらの

「民は之に由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず」(論語泰伯篇)

である。これで民主政治の看板を出すのだから驚く。政治の基本態度に於ては、東条英機の軍権政治と一向に変りがない。大東亜戦争がなぜ始まって、なぜ負けたかを、何一つ知らされなかったように、マッカーサーに、こんな史上空前の権力が与えられたことを、国民は何一つ知らされていなかった。

 この回想記を読むと、いつの世でも、国民は聾啞であることを思い知らされる。


✵ ✵


 十年、十五年経っての「回想記」で、実情を知らされるということは、むろん、知らされないよりはましであるが、やはり、そのときその時の真相を知りたいのが、人間の本能である。

 国民は生れつきの聾啞ではない。只、聾啞を強いられているにすぎない。そして突然、知らされる。イヤ、命じられる。命じられないまでも、事後承諾を求められる。国家が国民に要求する道徳の究極は死である。それで多くの国民が、唯々諾々と死んで行った。

 これを逆説すると、人間の死こそ、最も道徳的だという論理も成り立つ。

 海行かば、水づく屍――その死屍、(今は遺体と云う)人間が生命を閉じて、屍体になったとき、その人間は、もはや何んにも出来ないのだ。

 人を愛することも、傷つけることも、裏切ることも出来ない。ウソをつくことも出来ない。

 それどころか、ものを食わないし、水も呑まないから、この状態こそ、最高の道徳的状態だ。そもそも死者に対する尊敬は、ここにはじまったのではないか。

 バカは死ななきゃ治らぬ、と云うが、実はあらゆる不道徳は、死なずば治らぬものばかりなのである。

 世の精神家、道徳家の道徳的口吻には、国民が国家の真相を知ろうとする意慾を杜絶させようとする方向がある。この原則をさぐってゆくと、旧来の倫理の究極は死であって、更に進むと、戦争や革命の賛美に結び付くところのアクチュアリティを持っていることがわかる。私は死ぬことによって完成される道徳より、生きるための新しい倫理を求めたい。


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マッカーサーが、そんな絶対的な権力を持っていたとは――舟橋聖一『文藝的グリンプス』_b0420692_13162090.jpg

昭和39年の流行歌を聴いてみますか。
村田英雄「皆の衆」なんていかがかしら?
やっぱし村田英雄やで……


by caffe-san-marco2 | 2026-02-22 13:20 | 随筆・自叙伝・ノンフィクション・旅行記 | Comments(0)
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