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カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す


過ぎ越しの少年 歩いてゐる 環百道路の向こう側 不気味に流れる根無し草 道草模様の漂流者 あゝ帰らざる故郷…… 棲めばエル・ドラド…… 記憶のギャラリーで迷子になって…… 愚者の漬物石と隠者の糠床……
by Neauferretcineres
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メモ帳
わてが最近、買うた酒 のコーナー
新甘泉 梨の果肉と果汁があふれるお酒国産リキュール 北岡本店
ドンキで売ってた梨リキュール。作ってるのは奈良県吉野の酒蔵。
鳥取県産の梨をぶちこんである。アルコール分は5度。
なんとなく日本海側のエキスを毎日ちょっとずつ摂取したいんよね……。
熟れつつも叙情にこの実は引き締まりて。

アギオス氏は見知らぬ人たちに囲まれて生きる必要があった――イタロ・ズヴェーヴォ「短い感傷旅行」

2月も今日でおしまいか。
オリンピックがあったから、というわけでもないけど、
やっぱし短く感じたな、この2月は。

なんかミラノが舞台の文章を載せてみますか。
イタリアのトリエステ出身の小説家、イタロ・ズヴェーヴォ(Italo Svevo 1861-1928)
妻と子のもとを離れてミラノ駅から小旅行に出る男の心理を描いた中編小説
「短い感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー) Corto Viaggio Sentimentale
というのがありますので、
アギオス氏は見知らぬ人たちに囲まれて生きる必要があった――イタロ・ズヴェーヴォ「短い感傷旅行」_b0420692_19493652.jpg
今回はこの小説の冒頭部を
スペイン語訳版(Corto Viaje Sentimental)から重訳してみることにします。


イタロ・ズヴェーヴォ「短い感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)」より

☆ミラノ駅

 アギオス氏はなめらかな身のこなしで妻のもとをさっと離れ、駅の入口に密集している群衆に紛れ込もうと、すたすた歩いていった。

[略]

 思い出のなかの苦痛は必ずしも苦痛であるとは限らない。今、アギオス氏は苦痛の記憶のなかに強い生命力を感じていた。ああ! あのいらだちやあの苦痛をすっかり創り変えることができていたなら! それは何と人生を一新してくれることだろう! 人生とは単に、努力や憤りやお預けにされた喜びだけのものではあり得ないのだ。アギオス氏はあまりにも多くの友人に取り囲まれすぎていて、彼らによって傷つけられることがあるにしても、本当に反旗を翻すことなど許してもらえないのだった。アギオス氏は見知らぬ人たちに囲まれて生きる必要があったし、いっそのこと敵たちのなかで生きるべきだったかもしれない。イギリスで自分がした反抗を彼は思い出し、我ながら驚嘆の念を覚えるのだった。アギオス氏は当時、政治や経済に関する事柄をかの地で勉強していたのだが、それはひとえに、大英帝国を攻撃できるようになるためであり、大英帝国というやつは、ほぼ完璧に近い組織をもっているにも関わらず、完全体に到達するために必要なあと一歩の努力を為す能力を欠いているように自らを感じているやつなのだ。イタリアへの帰国はまた、このうえなく大きな希望によっても活気づけられていた。ほかの荷物もあるなかで、彼がその身に携えていたのはロンドンで採取した少量の土を小パックにしたものだった。彼はその土を岩石地帯近郊で採取したのだ。アギオス氏があえて中身を湿ったままに保っておいたその包みについては、誰も知る者はなかったが、ただキアッソの税関職員だけはその存在に気づき、すんでのところでアギオス氏を引き止めておいてこの土を分析するよう命じだすところだったのだが、政府から給料をいただいておきながら、イタリアの幸運を妨げんと身構えているとは何たることか! 自分のまったくの無邪気さを思い出して、アギオス氏は愛しさに満ちた微笑を漏らした。無邪気さもまた人生なのだ。いやそれどころの話ではない、これこそが人生の真の始まりであり、新鮮さと芳(かぐわ)しさをもたらすのだ。つまりは、アギオス氏が聞いたところでは、イギリスの岩石が肥沃な土壌へと変化したのは、ダーウィンの説では、微生物の労力のおかげだということらしい。これを聞いただけでもうアギオス氏は、自分の国でも微生物の遅々たる働きを促進せんものと希望に燃えたったのだ。彼は例の土をイタリアのカルスト地帯にばら撒き、己が魂がおおいに向上したように感じた。もし数世紀後、イタリアにはもはや岩は存在せず見事な土壌へと変わった、そのあかつきには、自分の名前が記憶されているかどうかなど彼にはどうでもいいことなのだった。そのような高みには人は孤独とともに到達するのだ! 今、彼は自分自身を顧みて微笑んでいた。彼はあまりに多くの時間、ずっと家族のなかで暮らしてきすぎていて自分の過去における偉大さを理解できなくなってしまっているのだった。家族というものは一種のベールのようなものであって、個々人がその後ろへと逃げ込んでしまえば、安全に、そしてすっかり忘れ去られて、生きていくことが可能なのだ。しかし今の彼は、家族のなかで死んでいきつつあった、希望に胸ふくらませながら。恐らくそれは、彼に幻滅をもたらすことになり、それから彼は自らに満足を覚える、というような試練なのだろう。何も失われてしまってはいないだろう。このベールの後ろに帰ってきて薄明かりのなかで、生きることになるのだろう、保護されて、安全に、しかし、死んでいきながら、諦念を抱え。まさにそれだ! 瀕死の人々同然だ、彼らは近くにある目標に目がくらんで、自分の身からもぎ離されていこうとしている生命を引き留める以外の努力は経験することがないのだ、ほかの物事を見ることにも感じ取ることにも歓迎することにも不適格者となって、というのも、もはや困難になった、呼吸し消化するという任務に専心しているのだから。

 発車時刻まであと15分近くあったので、アギオス氏は歩を緩めた。もしかしたら、妻との別れに対して彼は過度の性急さを示してしまったのかもしれなかった、そして、妻が自分のことを残念に思ったかもしれないと考えて胸が痛んだ、なぜなら、彼はそうした待遇すべてに値したし、もちろん、心配りすらされて当然なのだ。

アギオス氏は見知らぬ人たちに囲まれて生きる必要があった――イタロ・ズヴェーヴォ「短い感傷旅行」_b0420692_19512620.jpg
イタリアのシンガーソングライターを聴いてみましょう!!
2023年80歳でミラノで亡くなったトト・クトゥーニョ(Toto Cutugno)
世界的に知られた人でしたね



by caffe-san-marco2 | 2026-02-28 20:07 | 試訳 | Comments(0)
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