丹羽文雄『かしまの情』(新潮社刊)より②
林檎をとり出し、掌で撫で、皮の上からこまかい歯並をかしっと立てた時、
「東京までですか」
青年が声をかけた。おだやかな瞳の色だった。給料生活者なら、多少は相手の顔色を読むだろう。それが、なかった。警戒をしていて、気の毒をした。萬龜(まき)は、林檎を一つ、黙って差し出した。うけ取り方が、また鷹揚だった。そして話がはじまった。「……いつでも東京へいける人、住居のある人は、仕合わせだと思いますわ」
半野と名乗る青年は、唄の修業で、田園調布の知人宅に時々厄介になるという。流行歌手Y・E氏に弟子入りしているとも言った。
「絵の勉強がしたいのが目的なのに、住いに追われて、絵どころの騒ぎではありません。それに会社に勤めていますから、大変ですわ」という割には、萬龜はまいっているという顔をしていなかった。「朝鮮から引揚げてから、絵の先生のところに一週間、寮生活を半月、また追い出されて、目がとび出るほどの高い宿泊料を払って二タ晩待合のような旅館に泊まったり、そしてやっと四畳半が与えられた家では、女中同様にこきつかわれて、あたしの東京生活は、住いのために苦労して歩いているにすぎませんの。部屋のさがし方が拙いとは思いますけど。どこかいい貸間はありませんか」
「袖すり合うも他生の縁といいますから、僕もせいぜい心掛けます。住所を教えて下さい。見つかり次第、電報をうちますから。アパートには、いくらも部屋があるんですよ。権利金さえ出せば、簡単にさがせますがね」
「女ひとりの勤人生活で、そんな大金は出せませんわ」