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カフェ・サン・マルコⅡ 放逐の地、流謫の空、日常の崖、超常の涯、僕たちの心臓はただ歌い出す


過ぎ越しの少年 歩いてゐる 環百道路の向こう側 不気味に流れる根無し草 道草模様の漂流者 あゝ帰らざる故郷…… 棲めばエル・ドラド…… 記憶のギャラリーで迷子になって…… 愚者の漬物石と隠者の糠床……
by Neauferretcineres
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メモ帳
わてが最近、買うた酒 のコーナー
新甘泉 梨の果肉と果汁があふれるお酒国産リキュール 北岡本店
ドンキで売ってた梨リキュール。作ってるのは奈良県吉野の酒蔵。
鳥取県産の梨をぶちこんである。アルコール分は5度。
なんとなく日本海側のエキスを毎日ちょっとずつ摂取したいんよね……。
熟れつつも叙情にこの実は引き締まりて。

今が極限状況の尖端なんじゃないか――鮎川信夫と内村剛介の対談「拡散する閉塞状況」①

年度末のどん詰まりですねー。
これも1種の極限状況というか。
日常生活のなかに極限状況を見出していくのが、
芸術の1つの在り様でありましょうか。
要するに、ハードコアっちゅうことやね!!
芸術は須(すべから)くハードコアたるべし……。

鮎川信夫と内村剛介の対談「拡散する閉塞状況」(鮎川信夫対談集『自我と思想』思潮社刊)より①

☆極限状況を方法的につかまえる

・鮎川 現在の問題は大きく言えば主題喪失というか――これは特定の傾向の詩人ということじゃなくて、一般的に若い人の意見を聞いてみても、現実というものに自分の爪が立たないというか、現実に対する無力感が非常に強くなっていると思うんです。たとえば、戦後すぐ「荒地」グループがまだ活発に運動をやっていた頃というのは、詩のテーマということでも、体験的にも現実に拮抗して何か言うべきことがあったと思うんです。ところがいまの現実ということになると、ただのべったらに拡がっちゃっていて、しかも管理社会の秩序は堅固で、切り取れるのは自分の個人的な体験のごく一部であって、胸を張ってさし出すというようなテーマはなにか見当たらない。そういう感じをだいたいもっているような気がするんですよ。 

・・内村 逆説的だけれど、拡散した閉塞状況という感じ。

ええ、そしてそれはなにも詩人だけじゃないと思うんですよね。文学者が一般的にそういうところにきちゃってるんじゃないかなという気はしますけどね。六七年に内村さんとお会いした時、たしか極限状況という言葉に非常に反撥していましたよね。だけどあの頃はたしかに内村さんの反撥を誘うような形ででも、これは極限状況だなんて言って、それがニセ物じみたものであっても提出するものがあったと思うんです。ところがそういうものが見つからないという感じがちょっとあると思うんですね。そういうことになると、今日ただいまというものを極限状況として方法的に摑まえられればいいんじゃないかと思うわけです、簡単に言えば。そういうものはなくなったんじゃない、今が極限状況の尖端なんじゃないかとね。まさに拡散した閉塞状況みたいなものに向かって、自分なりに表現状況として受け止められるだけのものがあれば、なにを書いていいかわからないということには、ならないんじゃないかと思うんですがね。

今が極限状況の尖端なんじゃないか――鮎川信夫と内村剛介の対談「拡散する閉塞状況」①_b0420692_21552636.jpg
今が極限状況の尖端なんじゃないか――鮎川信夫と内村剛介の対談「拡散する閉塞状況」①_b0420692_21585422.jpg
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ちなみにこの対談が行われたのは、1978年です。
パゾリーニが殺されたのは、1975年だなあ……。

さて、今宵は魚でいきますか。
鱒(pike)って、食べたことないような気がするけど、
どんな味なんやろう。
よく考えたら、そもそも川魚や湖の魚って、
あんまし食べることないなあ、
なんでやろ?
味の問題か、それとも単に漁場の面積の問題か?
身近なようで身近でない淡水魚……。
鮎の焼いたんは、スーパーで売ってたりするなあ。
てなわけで、
ニューキーパイクスを!!


# by caffe-san-marco2 | 2026-03-30 21:08 | 対談・対話・鼎談・座談 | Comments(0)

本当は食通というより大食の一団だ――J・ヘラー、S・ヴォーゲル『笑いごとじゃない』②

映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の公開が始まった。

東京の話だし、僕は観に行かなくてもええかな、と思ってたけど、
やっぱし観にいくかな?
この前、宮藤官九郎さん画鋲のライブで神戸と京都に来てくれたし……。

しかし、”自分の音を鳴らせ”というタイトルには
ちょっとひっかかってるものがあるんだけど、
つまり、自分の音を鳴らせっていう標語は、パンクというよりはどちらかというと
オルタナ寄りの標語なんだよなー。
ハードロックとかプログレとか重厚長大でマッチョで肥大化したロックが主流だったところに
突如パンクが出現して、シンプルでプリミティブで初期衝動的で敏活なロックのムーブメントが生れたんだけども、
このパンクはコロンブスの卵であり、”新しい音”であったわけだ。
1977年に本格的にパンクが流行して、しかし1978年にはもう”パンクは死んだ”とか言われだして、
そこで”新しい音”としてのパンクではなく、
”自分の音”を鳴らすものとしてのオルタナパンクが模索されていった、
ってことなんだなあ。

で、日本の場合は、
”最新の音楽”としてのパンクと、”自己表現”としてのオルタナパンク(ポストパンク)とが、
同時並行的に模索されていった、という状況だった(ニューミュージックてのもあったけど……)。
だから本当は、新しい音を鳴らせ、と、自分の音を鳴らせ、の両方とも言わないと正確ではないんだけどなあ。
しかし現在では当時のパンクの新しさが見えにくくなってるから、
自分の音を鳴らせ、というオルタナの文脈をメインに据えたんだろうなあ……。
別の言い方をするならば、
厚ぼったい古い服を脱ぎ捨てて新しい身軽な服に着替えるというような、ハードロックからパンクへの移行
自分独自の服を着るというような、オルタナの模索
この両方が動きが同時進行していたわけなんだなあ。

なんか今の若い子たちはけっこう誤解してるみたいだから言っとくけど、
自分の音を鳴らせ、ってのは
自分のお気に入りの音を鳴らせ、ってことではないからね、
自分の音を鳴らす、っちゅうのはつまり、
己の業(ごう=カルマ)を鳴らす、っちゅうことだ。

エッセンスをどう抽出するか、というのは難しい話だ。
先日スーパーで、バニラビーンズの見切り品があったから、
そいつを買ってきて、
ズブロッカの草を抜いて代わりにこのバニラビーンズを漬け込んでおるけど、
なかなかうまい。砂糖無しでもなんとなく甘い。
飲んで減った分をまたズブロッカ足すのも芸がないから、
アニス酒とかボンベイサファイアとかを足してるけど、
なかなかええ感じです。
アルコール度数が高いほうが抽出力や防腐効果が高まるやろうから、
スピリタスを足すのもよかろうなあ……。
そして、安ワインにこの自家製バニラエッセンスを垂らすと、
アロマ強化ワインが出来上がりますよ!!

ええっと、今日は何の話やったっけ?
グルメの話?

ジョーセフ・ヘラー、スピード・ヴォーゲル『笑いごとじゃない』(中野恵津子訳、TBSブリタニカ刊、ちくま文庫)より

☆病室が新しい社交場になった   S.VOGEL

 食欲という名の友情「グルメ・クラブ」

 ジョーの病室に一番足繁く通ったのは、「グルメ・クラブ」のメンバーだった。「グルメ」とは一種の皮肉で、本当は食通というより大食の一団だ。このグループは二十年間、コニーアイランドや中華街の食べ物屋を荒らしまわっていた。グルメ・クラブのメンバーは、かつてのジョーの信じがたい食欲を思い、彼が物を呑み込めないという現実を目のあたりにしたとき、少なからず不安になった。あの食欲はもう返ってこないだろうと考える気にもなれなかった。運命の過酷さにも手加減があっていい。

 ある晩、中華街の行きつけの店で、私とジュリーとジョージの三人で食事をしていたとき、ジョージが自分の義兄でギラン・バレー症候群に詳しい医師に聞いた話をした。ジョージが言うには、冒された神経のうちどれが再生するかは予測できず、ジョーの場合も二度と物を呑み込むことができなくなるかもしれないという。これを聞いて、みんなしばし黙りこくってしまった。が、ジョーの食欲をよく知っているジュリーが沈黙を破った。「僕は彼が食べられるようになるほうに賭けるね!」


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本当は食通というより大食の一団だ――J・ヘラー、S・ヴォーゲル『笑いごとじゃない』②_b0420692_11255564.jpg
さて、今日は何料理にするかな?
やっぱし、肉料理やな!!


パンクは死んだ、ってなって、
いやいやまだパンクは死んでへんぞ、ってなって、
レゲエ化したり、ハードコア化したり、ポジパン化したり、
Oi!やスキンズになったり、オルタナ化したり、という動きが出て来たわけで、
古典的なパンクの定義から外れたオルタナパンクの先駆者として、
ミート・パペッツがいてるんやなあ

# by caffe-san-marco2 | 2026-03-29 11:51 | 随筆・自叙伝・ノンフィクション・旅行記 | Comments(0)

馬が人間を眺めるように眺めている――丹羽文雄『かしまの情』③

今は春の引っ越しシーズンなんかな。
僕は本が多過ぎて引っ越しは困難を極めるから、
よっぽどのことがないかぎりは、このまま今のところに住み続けるかなあ。
若いときは、けっこうあちこち引っ越ししてんけどな……。
お部屋探し、好きな方やし。
引っ越しといえば難波ベアーズの移転先は、まだ決まってへんのかなあ?

せっかくなんで、お部屋探し、家探しのコツを今日は伝授いたしましょう!!
結論から言うと、不動産運の強い人に任せるのがベスト、っちゅうことやね。
先天的に不動産運の強い人とか買い物運の強い人とかがいるわけで、
逆に不動産運の弱い人とか買い物運の弱い人もいてるわけで、
家族のなかで一番不動産運の強い人、
店やったら、スタッフのなかで一番不動産運の強い人間に
部屋探しを一任するのがよろしい。

で、不動産運の強弱をどうやって観るかというと、
人相で観る方法と占星術で観る方法とがあるけど、
占星術は生まれた時間が正確に判ってなあかんし、
そんでホロスコープを作成する必要があるしで、
ちょっと難しい。
というわけで、人相で不動産運を観ることにしましょう。

人相で不動産運を表すのは、眉と目の間の部分、
田宅と呼ばれている部分であります。

まあ難しいことは抜きにして、
庭があるような広々としたところに住みたいんやったら、
田宅が広い人に部屋探しさせたらええし、
逆に、狭いけどなんか一風変わったセンスのとこに住みたいんやったら、
田宅が狭くて眉が目に迫っていくような感じの人に任せたらよろしいッ!!

あとポイントは、ほくろやね。
あごの先のほうに目立つきれいな大きなほくろがある人は
不動産運が大吉です。
濃い黒色で滲んでなくてくっきりとしてるのがよい。
ぐっちゃっとぼやけたようなほくろやったら、
顎先にあっても、それは逆に不動産運が凶となりますよ。
もし、顎先にきれいなほくろがある友人とかいたら、
その友人に不動産屋にいっしょについてきてもらいましょう!!

いや、俺はどうしても自分の力で部屋探ししたいねん、
でもいまいち不動産運なさそう、という人のために
奥の手の秘技もご紹介しておきましょう!!
脚のすねの内側に小さくて濃い黒色のほくろがあると
よい家に恵まれる暗示があるので、
もともとここにほくろがあればええねんけど、
無い場合は、自分で黒マジックでほくろを書いたらええんやで。
すねの内側に小さいきれいな正円になるように、
ぽちっと書いてな!!

いいお部屋が見つかることを願ってますよ。
また来月、こんどは実際に不動産屋に行ってどういう風にすればいいのか、
という実践編をお届けするつもりなので、楽しみにしててな!!

では、お部屋探し連作小説の丹羽文雄『かしまの情』の


3回目を載せましょう。

丹羽文雄『かしまの情』(新潮社刊)より③

 青年は、煙草をのまなかった。萬龜(まき)は突然、そのことに気が附いた。青年は会話が切れると、ひとりで唄が喉に上るらしく、小声で唄った。萬龜は注意して、聞いた。

「僕の唄、聞いてくれますか」

「よく判りませんの。どちらかといえば、音痴ですから」

 青年は唄いはじめた。流行歌である。列車の音にかき消されるが、自信のある唄いぶりである。前席の老人と商人風のが、声よりも、半野の顔を眺めた。唄う男を何と判断しかねて、馬が人間を眺めるように眺めている。おとなしい乗客である。買出部隊がのりこんでいなかったのは、偶然だった。

「是非、是非、素人喉自慢にパスしたいと念じています」

 萬龜はそんなものがどこにあるのか知らなかった。ラジオなど、しみじみと聞いたことがない。自分のことにかまけて、世間にどういう種類の人間がいるか、注意してみなかったが、この青年など、終戦後の新しい型のように思われた。熊谷で、半野は下車した。

 世田ヶ谷の會川家に戻ると、林檎がめずらしがられた。

「もどって来ないのかと思ってたわ」

 年の暮に実家にもどった女中が、そのまま東京へかえらなくなったかと当惑していた主婦の口調である。撫肩を友禅模様のはんてんが滑るので、絶えずかきあげながら會川夫人は、年と共にいろっぽさが崩れていくように見える。ぶよぶよとした贅肉が、ただ白く、年々しまりを失っていくようであった。牛肉の腐りかけを思わせる。萬龜とよい対照だ。萬龜は持って来た長野の林檎のように、色彩は地味だが、固くひきしまっている。二十二にしては、あたたかい色に乏しいが、顔色の青白いのは生れつきであった。

 長男の忠は珍しく大学に通っている。次男は油のブローカーで飛びまくり、ほとんど家によりつかない。学生をやめたのかも知れなかった。娘は女学生であるだけだ。萬龜の生活が、去年のように今年もはじまった。朝は五時に起きねばならない。昨夜といでおいた米をガスにかける。七時には息子と娘の朝食の支度。あと片附け。勤先のビューローは、八時出勤だが、毎日萬龜は遅刻であった。會川夫人は、十時近くなると、体臭を濃厚に漂わせて部屋から出てくる。男くさい種類もあるが、女くさいのもいる。

「萬龜さん、新聞とって」

 廊下の閾のところに朝刊がよみすてられてある。二、三歩で手に届くのだが、夫人はいったん火鉢に坐ると、一米(メートル)とはなれたところのものを取るのにも、萬龜を使った。萬龜が暮から松の内を田舎にすごしていた間に、娘はどうやら炊事を一トとおりこなすようになっていた。可哀そうだと思う。しかし、将来の役には立つだろうと(この観念にはそれほど信頼を置いていないが)台所で並ぶと、萬龜はあぶなっかしそうな娘の庖丁の使い方をはらはらして眺めやる。

「お隣りの七鬼さんの奥さん、相変らずぱんぱん?」

「そうでしょう」

「ぱんぱんしなければ食べていけないとなれば、必死でしょうね」

 娘には、隣家の四十歳になる細君のぱんぱん生活への追いつめられ方が、よく判らない風であった。世間なみに一応は非難はするが、立ち入った解釈は出来ない。しようともしない。このままこの娘も大人になっていくのだろう。知識はひろくなるが、深くはなるまい。ぱんぱんをやる母親のおかげで、女学校に通っている娘二人の方が関心の対象になっていた。

「枕につくと、すぐに眠ってしまうから、客を案内して路地を通る気配を、ちっとも知らないのよ」

「あたしも知らないわ。いやあね」


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初心者の炊事といえば、
やっぱしカレーライスよね、
そしてカレーライスといえば、
やっぱし遠藤賢司!!


「1972年の春一番コンサート10枚組をYouTubeに全曲ポストしました。MCがオモシロい。 この音源は当時岩井宏さんがLP10枚組100セット限定で発表されたものです。 当時100セットすべてにシリアルナンバー入りで、001はコンサートプロデューサーの福岡風太が所有していました」


# by caffe-san-marco2 | 2026-03-28 11:40 | 小説 | Comments(0)

彼からしっくいが剝がれ落ちていくように思われ――ニーナ・ベルベーロワ『伴奏者』③

やっと暖かくなって、桜も咲きはじめたらしい。
明日からはもっともっと暖かくなるかな?

それにしても、年をとってくると、寒い冬が非常につらくなってくる。
独身で貧しい場合には、とりわけ。

しかし、雪割り桜というか、
冬の日々をくぐり抜けてきたからこそ、
己の音を鳴らすこともできるようになるのだろうし、
自分の言葉で語ることもできるようになるだろうし、
借り物でない花を咲かせることもできるのであろう。

冬を乗り越えろ、死んで花実が咲くものか……。

ニーナ・ベルベーロワ『伴奏者』(高頭麻子訳、河出書房新社刊)より③

 私は十八歳だった。音楽院(コンセルヴァトーリイ)での勉強は終っていた。私は頭も良くなかったし、美しくもなかった。高価なドレスもないし、並以上の才能もなかった。つまり、私は何ものでもなかった。飢饉が始まっていた。私もピアノ教師にしたい、という母さんの夢は実現しなかった。今では、彼女にも、生活を賄うだけの生徒はなかなか来なくなっていた。私は、工場やクラブの音楽パーティで、臨時のアルバイトを、行き当たりばったりに見つけていた。石けんやラードを買うために、港のどこかまで、夜通しダンス音楽を弾きに出かけたことが、何回もあった。次に、パンや砂糖のため、ニコラーエフの仕事場の近くの、鉄道員のクラブでの定期的な――毎週土曜――仕事についた。私はまず「インターナショナル」を、次にバッハを、次にリムスキイ゠コルサコフを、次にベートーヴェンを、そしてミーチェニカの「コラール」(当時、流行していた)を弾いた。しかし、土曜日の仕事だけで生きていくことはできなかった。そこで私は、伴奏者を探している歌手――日に三時間の拘束時間だ――を見つけたが、遠くまで行かなければならず、路面電車もなかった。配給を受けるために行政機関に登録したふた月の期間が過ぎた。だが最終的には、そうしたことにも決着がついたのである。

 その歌手は、昔はかなり知られたバリトンだった。七十歳に手が届こうとする今では、灰色たばこ〔訳注:パイプ用の安たばこ〕と酒蔵の匂いがし、両手は、薪割りと台所仕事のために黒ずんでいた。どんどん瘦せていくために、毎月、洋服の丈が前の月よりも下がり、膝と肘はてかてか光るようになり、ボタンはなくなっていった。体を洗うことはなく、口と顎にはときどき剃刀を当てるが、そういうときはタルカム・パウダーをつけ過ぎて、あたり一面を粉だらけにするのだった。すると、古びて崩れかかった壁と同じで、彼からしっくいが剝がれ落ちていくように思われ、酒蔵の匂いではなく、単に湿った土の匂いがするような気がした。

 彼は私に言うのだった。「ソーネチカ、どうして君はそんなに瘦せているんですか? 若さだけじゃどうにもなりませんよ。形というものがなければ、形というものが。それなのに君ときたら、鶏みたいな腕に山羊の脚、猫のような胸をしているではありませんか。ねえ君、そんななりをしていて、どうやって生きていこうというんです!」

 彼は心底から私の将来を心配してくれるのだった。私はといえば、彼とレパートリーを練習して、食糧の入った袋を家に持ち帰れれば満足だった……。冬のある日、彼は風邪をひいて床についた。そのとたんに、彼のアパルトマンの何もかもが、だめになってしまった。水道は凍りつき、室内の温度は二度で、ピアノ線は飛び、石油はなくなった。労働組合が医者をよこした。私は、毎日通いつづけた。歌手の友人やご婦人方がやってきた。ひきわり小麦が届いた。私は、近所に塩を探しにいかされ、配給センターまでマーマレードの配給を受け取りに走らされた。そして、すべてが終った。彼は、汚ないシーツと裂けた枕カバーの上で息を引き取り、わずらわしいことばかり多い葬式が行われた。死者のための奉仕というのは、つらいものだった。


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僕はベッドで煙草は吸わないが、
布団の上でワインを飲むのが好きだ。
悪い癖だな……。


# by caffe-san-marco2 | 2026-03-26 20:10 | 小説 | Comments(0)

そのいたるところに豚をつめこみ――ソール・ベロー『雨の王ヘンダソン」

雨やなあ……。
それよりか雨後の竹の子のように、
生成AIに関する文章や動画がいろいろなところで出てきてるんだけど、
このブログでは生成AIについてはあんまり触れてこなかったなあ、
(なんか管理画面でアクセスレポートみてたら、
ときたまchatGPTからこのブログに飛んできてるケースもあるみたい……。)

特に生成AIが作った音楽については全然取り上げてこなかった、というか
完全に黙殺してたわけなんだけど、
まあそのうちもっとちゃんとまとまったかたちで書こうかな、とは思ってるけど、
結局あれなんだよね、
昔から、
ユダヤ人による芸術は芸術じゃない、
みたいなことがよく言われてきたけど、
これからは、それに加えて、
生成AIによる芸術は芸術じゃない、
ということも言われるようになってくるだろうなあ。
つまりだなあ、生成AIってのはユダヤ人に特徴的な理念を具現化したものであり、
もっと言えば、
生成AIと遺伝子組み換え技術、
この2つがユダヤ思想を端的に表したものなんだなあ。
アイデンティティを骨抜きにした貼り合わせ、つぎはぎね。

話しはじめたら長くなるから、今日はここまで。
そのうち生成AI論でも書くか、
それともいっそのこと、生成AI論を生成AIに書かすか、
いやそれよりか、
生成AIに書かせた生成AI論を生成AIに評論させたものをさらに生成AIによって音楽化するのがええね!!

というかユダヤ人め、性懲りもなくまた、生成AIなどというしょうもないもんをこしらえやがって……。

ソール・ベロー『雨の王ヘンダソン」(佐伯彰一訳、中公文庫)

 で、こんどは、アフリカ行きの理由について、一言。

 戦争からもどってきたときは、豚の飼育をやりだすつもりで、これが、当時のぼくの人生観を物語っているかもしれない。

 モンテ・カシノ(訳注:イタリアの僧院。一九四四年、連合軍の爆撃で破壊)の爆撃などやるべきじゃなかった。あれは将軍どもの愚鈍さのせいだという人もいる。ともかくあの血なまぐさい殺戮の後、テキサスの連中がごっそりやられ、ぼくの部隊もあとでひどい打撃を受け、もとからの隊員で生き残ったのはニッキー・ゴールドスタインとぼくだけとなった。これは妙な話、というのは、ぼくら二人は隊の中で一番の大男で、そこでいちばんいい標的でもあったのだ。もっとも、ぼくもその後、地雷で負傷した。が、そのときは、ゴールドスタインと二人で、オリーヴの木陰に寝そべって――オリーヴの木のこぶがレースみたいに開いて、間から光が洩れ落ちてくる――戦争がすんだら、何をするつもりかと、彼にきいてみた。彼は言った、「そうだな、弟といっしょに――二人ともうまく生き残れたらの話だが、キャツキルの山の中で、ミンクの飼育をやるつもりさ」で、ぼくは、というよりぼくのデーモンが代わって、こう言った、「ぼくは豚の飼育だよ」と。こう言ったあとですぐ気がついたのだが、もしゴールドスタインがユダヤ人でなかったら、豚という代わりに牛と言ったに違いない。が、もう言い直しはきかない。そこで、ゴールドスタインと弟がミンク業なら、ぼくのほうも――ともかく別の何かとあいなった。古いみごとな農場の建物いっさいと、鏡板ばりの厩舎――昔は金持の馬はオペラ歌手なみの扱いだった――それに古いきれいな納屋で、二階の干し草置場の上にこれまたみごとな建築の見晴らし台までついているのまでも一つ余さず、そのいたるところに豚をつめこみ――芝生にも、花壇にも豚小屋といった豚王国をうちたてたのだ。温室までも――球根などはいっさい引き抜かせてしまった。フローレンスやザルツブルク到来の彫像もお払い箱だ。邸(やしき)じゅういたるところが、残飯と豚と、飼料と糞の臭いだ。近所の連中は、憤慨して、衛生局の役人を呼んできた。ぼくは、勝手に告訴するがいいと、言ってやった。「ヘンダソン家は、二百年以上もこの地所で暮らしてきたんだ」ぼくは、このバロック博士とかいう男に言ってやった。

 当時妻君だったフランシスは、何にも口を出さず、ただ一言「車寄せには、入れないで下さいね」と言った。

「お前さんこそ、気をつけろよ、奴らに怪我をさせんように」ぼくは答えたものだ。「豚はもうぼく自身の一部になっとるんだから」このことは、バロック博士にも言ってやった。「近所の弱虫どものさし金だな。あいつら、豚肉を食っとらんとでもいうんかね」


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ロシア系ユダヤ人の
アレハンドロ・ホドロフスキー(両親はウクライナからのチリへの移民)の
名言集が先月、邦訳刊行されましたが、
アレハンドロ・ホドロフスキーの息子のアダン・ホドロフスキーは音楽家でもありまして、

今宵は、この息子アダンの方のライブ動画を観てみることにしましょうね!!


# by caffe-san-marco2 | 2026-03-25 20:41 | 小説 | Comments(0)


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